おみまい
コロナを機に日本の「慣習・かんしゅう」が可成り変容したと感じます。三密回避で皆が一堂に会して飲食、集会する事が避けられ、コレガ日常化するとコレはこれで他人を気遣っての精神的疲労感の無さが心地よく、以後嫌々ながら続けてきた社会儀礼や習慣も徐々に廃れて来た様に感じます。お祝い事も「結婚式」や「還暦祝い」、「卒業謝恩会」に「忘年会」も以前のような規模や形式では行われなくなり、不祝儀・忌事は拍車をかけて規模・様式が小さく略して遂には忘れ去られて行くようだ。病院への「お見舞い」は親族以外は未だに叶わず、葬儀も「家族葬」当りまえで規模は小さくなり、町内会や縁者がお世話して、身内の出る幕は無かったが、回覧板もお知らせも無くなり、家族・親族が仕切り原則お知らせしないのがデフォルトのようだ。
今年の冬は特に全国ニュースで繰返し「火事」の報道があったが、佐賀関や大きな山火事の火災は納得できるが、事件性の無い「火事」の実況中継をニュースやワイドショーの間に挟む必要があるのだろうか? 昔は無かったように思う。この「火事」も普通の人なら一生経験する機会が無いだろうが、私は4回くらいある。商売屋に生まれた為、窯場、倉庫、従業員寮、隣家からの貰い火等々何回も経験した。災害も何度かあった。先週末に街中の旧飲食借家のトタン葺きのトタンが飛んで瓦も巻き散らかし、始末と取りあえずの防災対策は工務店とで対処したが、一番酷かったのは1991年 9月 27日の「リンゴ台風」の時に旅館の屋根が吹っ飛び、スプリンクラー配管を引きちぎってスプリンクラーが発報して館内水浸し、予約の入っている大きな団体(修学旅行)に間に合わせるために大工さんやら配管工事業者やらと二週間の限られた時間の中で復旧工事を如何にかやり遂げた現場を体験した。山口県は瀬戸内側の被害が大きく半月停電した地域もあった。
ピンチの時追い詰められた時に「人の本性・しょうね」が出る・観得る・露になる、と云いますが、私が道路の瓦やトタンの残骸を「善良なる管理者の注意義務行為」として黙々と片付けている処に通りかかっても声すらかけず、後になって「可哀想で、声も懸けられ無かった」とは情けない、ココは嘘でも「大丈夫ですか、手伝いますか」とクルマを降りるふりをしてチョ! わたしはソコで「ご無用!こちらで片付ける」と啖呵を切って颯爽と軽トラダンプへ残骸を積んで去る。
ところでマッキーくん、「お見舞い」の一升瓶のお酒が届かないけど、怪我でもシタの病気かな?
吉田松陰は至誠の人です。 知行合一を説きました。 言葉では何とでも語れます。行動がその人の本当の姿を映します。かまってちゃんやメンヘラは「犬ヨかは増し」時代が変わってコンプラ違反。


