スタッフブログ -千春楽の出来事-

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だんだんシリアスな話題になりますが、戦争を体験した世代が亡くなり、戦争をテレビや液晶画面の中でしか観たり読んだりしか出来ない世代が増え、検索エンジンを相当ウマく使わないと自分の見たい情報以外は表示され無くなり、私とアナタでは検索結果がまるで違う項目や順番で表示される時代です。グーグルは最初、総ての人に公平に情報を提供する!とか何とか云っていたのに・・・
戦後77年むき出しの現実です。
広島県竹原市の大久野島、ウサギの島として今は観光地化して有名ですが、戦時中はココで毒ガス兵器を作っていました。グーグルで大久野島で検索してコノ項目が表示されるのは私のPCでは6ページ目でした。しかし、毒ガスは北九州市小倉南区曾根で充填され保管されていたが終戦時、苅田港沖に日本軍が投棄、2000年代に次々と見つかり港内に処理施設を造り2968発を爆破無害化したとの事です。
日本は戦後生物化学兵器の研究開発を行わなかった。これがコロナでよく分かった様です、米英、中国、ロシアが次々とワクチンを実用化し大した薬害を出さずに接種鎮圧する手段を持っている事を示しました。以前から生物兵器の研究開発を行っていないとあんなに短期間に有効なワクチンを造れません。そうでないとしたら日本の医療ははるかに遅れているかです。どちらでしょうか?
戦後77年経ちましたが、西日本には未だに戦争の置き土産が顔を出します。関門海峡はたまに機雷が見つかり船の航行を止めて爆破処理をしますし、私も以前ボイラーのタンクの様な錆さびの機雷を触ったり蹴ったりした事があります。
米軍は、幻の本土上陸作戦「オリンビック作戦」鹿児島県西岸、宮崎県東岸の砂浜からの上陸作戦を計画し本州と九州の兵站を遮断するため海上封鎖に大量の機雷をバラまいたのです。


朝は寒く感じるほど気温は下がり秋が始まりました。これから徐々に過ごし易くなって来ます。
空には鱗雲?かイワシ雲?が現れています。
お盆用に観音様の掛け軸を掛けましたが雨もすっかり上がり湿気も下がった様なのでかけ替えました。


後藤新平 書


引き揚げ港の投稿をしましたのでこの関連の軸にしてみました。日本で最初に本格的な防疫対策をしたのは後藤新平でしたが、この時は勝ち戦で、日清戦争の帰還兵を広島の似島に隔離し検疫、国内への疫病の拡散を防ぎました。若い頃は暴漢に襲われた板垣退助を治療し、台湾総督時には、ペスト・マラリアの根絶に勉め、医者や行政官として能力を発揮、関東大震災の復興計画の策定も発案し辣腕を振るいました。岩手県生まれでしたが、山口県の軍人・政治家の児玉源太郎、伊藤博文とともに明治大正の国の発展に尽力しました。


雨も上がり日が暮れると虫の声が庭から聞こえてくるようになり、すっかり秋です。テレビでは新しい話題が無いので「猛暑・酷暑」」と、もうチョットお天気で引っ張るつもりの様ですが、お盆を過ぎるとだんだん気圧配置も秋となり野生の昆虫も植物も準備を始めます。山間の田圃はもう稲刈りを終えたところもあり、長雨で稲が倒れて芽が出そうで、刈り取りが早そうです。

テレビではウクライナ戦争の話題はとうにトップニュースから外れて仕舞いましたが、今週は当ブログは戦争のむき出しの現実を続けます。ロシア兵の戦争犯罪行為として一般市民を殺害し路上に放置したり、遺体を隠すように埋葬した場面がニュース報道で流れましたが、ショッキングな画像ですが、これに匂いの情報が無い為まだましで,死臭が伝わったならば一層その惨状は衝撃です。動物や魚のたんぱく質が腐敗した悪臭を都市部では嗅ぐことは無いでしょうが田舎では野生動物が轢かれて道端に放置され腐敗したり、かまぼこ工場の汚水の汚泥をトラックで運んだりする場面に遭遇すると、コノ匂いかと想像できます。遺体は早く埋葬しなければ腐敗臭とウジで敵味方の戦意も喪失、ウジからハエが湧き疫病等の伝染の危険も始まり衛生状況は急激に悪化します。大概インフラを破壊されますので、電気・水道・通信も十分に機能しなくなった戦争地帯はあらゆる病の感染地帯と成ります。


せんざキッチンの敷地にある引き揚げ記念碑

仙崎が朝鮮半島方面からの引き上げ基地であった資料図面

戦地では敗走する日本軍・日本人は略奪、強姦、暴行を受けてようやく本土へたどり着いたとしても、直ぐに家族の元に帰れません。コロナ禍でのクルーズ船の様に防疫措置を実施して安全が確認されなければ、市中に出ていくことはできません。ノミ、シラミ、チフス、コレラ、性感染症、強姦による望まぬ妊娠等いろんな問題を持って引き揚げ者は命からがら帰国したのです。


「岸壁の母」で有名な舞鶴引き揚げ桟橋 北方のロシア方面からの引き揚げ基地

引き揚げ桟橋の写真 舞鶴、函館が北方からの引き揚げ港


日本で唯一?の引き揚げ施設の史料館? 他の都市はあえて顕彰していない様

長門三隅の画家「香月泰男」はシベリアに抑留されこの時の記憶をシベリアシリーズとして描いた。南方戦線からは鹿児島、別府辺りに引き揚げ港があった。
ハウステンボスも佐世保港に引き揚げてきた大陸からの引き揚げ援護施設があった。ベトナム戦争後にボートピープルとして日本に来た難民も長崎大村の大村一時難民センターへ収容され防疫対策が執られた。


立秋を過ぎているので秋ですが日本各地で雨が降っていますが梅雨入りが早かったのですから、もう秋雨でしょうね。
ラニーニャ現象が起こっているとの事ですが、台風の上陸も少なめで雨の影響は大きいですが暴風雨で被害が出なくて良かったとは誰も言いませんね、これから超大型の台風が来るかも知れませんが。一月にトンガの火山が爆発して日本まで津波がやって来るほどの衝撃と噴煙が成層圏辺りまで上がっているのですから今年は冷夏かなと思われましたが、この雨が上がるころには秋風が吹き涼しくなりそうです。


SAEC WE-407/GT かつてWE-407/23米Audio雑誌で世界一の評価

くどいようですが、何時まで生きて居られるか仕事を続けられるか分かりませんので「むき出しの現実」の続きです。
戦後、多摩川を挟んだ武蔵小杉辺りに、一時期世界を席巻した日本の電機メーカーの原材料・種が大量に余っていた。電探(レーダー探知機)通信機の開発を進めていたが電探の実用化には失敗、使う当てのない真空管が山のようにアッタそうである。そこからNEC、富士通、ソニーがラジオやコンピュータの開発が始まったと聞く。
画像は再び見直されてきているアナログレコードの機器トーンアームのメーカー、サエクコマースの創業者もこの電探(レーダー探知機)の技術者一族の田中氏で、兄弟の方が15?年前くらいまで目黒区碑文谷でメンテナンス・ファインチューンを個人的にされていた。
ソニーがSACD規格を立ち上げた時、忘れ去られ、捨て去られた技術とされたアナログプレーヤーを独自開発した寺垣氏も軍の技術者であった。


寺垣プレーヤー Σ3000(生産台数30台) Σ5000(生産台数30台)Σ2000(生産台数100台)


ブルーカラー(工場労働者) ホワイトカラー(事務労働者) メタルカラー=技術者の造語 

日本の敗戦は九月二日のミズーリ号降伏文書調印をもって成立した、と国によって自国に都合よく解釈しますが、77年目となり戦中戦後をリアルに体験してはいませんが子供の頃に見聞きした少しは戦争のむき出しの現実を語ってくれた人の話を全てが事実か怪しいながら書いてみましたの、つづき。
私は偶然、大学の学部は社会学部に転がり込み、結果的には良かったと今では思いますが、その時の「技術論」授業の内容から・・・
戦争中,戦前も日米の生産技術と生産能力との差は圧倒的モノがあったと認識はアッタが、戦局が確定した末期には、ゼロ戦(飛行機や兵器の象徴)は製造した半分が飛べなかった、不良品を乱発する状態だった。もともと生産設備はコピーモノか精度の低い工作機械であり、それを造る工員も熟練度の低い女学生まで動員した。また、軍事技術の漏洩を恐れ、自分が何のどこの部分を製図したり生産組立しているのか全く分かっていなかった。
戦後この決定的な問題を解決すべく産官共に生産技術向上に注力し、いまや工作機械、半導体生産装置等、マザーマシンの精度、能力は世界一のレベルに達している。今後この優位を維持できるかによって日本の生き残りのカギが掛かっている。
コロナ禍で幻想が崩壊した日本のIT技術、プログラミング能力の無さ、論理的思考能力衰退は全ての人が実感しているのではないか?安全と安心は全く異なる。客観的事実として安全率は確立して世界はその方向に舵を切っているのに、お化けの様な不安心理に駆られた感情に支配されたアタマで論理のプログラム・アルゴリズムのITは組めない。
企業内でも労使とも生産管理システム、QC・品質管理の向上に努め、低い不良品率・ブドマリの向上を達成してメイドインジャパンのブランドを確立した。これが円高の為に海外への生産拠点の流出により、品質管理という言葉は活字、音声でも触れる事無く、死語となったのか?
オヤジがまだ生きていた頃看護の手伝いをしてもらっていた保健婦の資格を持つお婆さんは大正生まれで、女学校時代大村の防空壕(穴ぐら)で何かの製図作業をしていて8/9原爆の爆発音を聞いたそうだ。


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