藤永元作さん
【幼少期の萩でのエピソード】
藤永元作博士の萩市における幼少期・少年時代のエピソードは、彼の「一度決めたら妥協しない執念深さ」や「自然科学への異常なほどの探究心」といった、後の偉業に直結するエキセントリックな神童ぶりが数多く残されています。
萩の風土が育んだ彼の幼少期の逸話は以下の通りです。
1. 萩の武家気質と「ヘコ(ふんどし)」での大喧嘩
厳格な士族の家庭:元作は1903年、萩市堀内の厳格な旧萩藩士(武士)の家系に生まれました。明治維新からまだ30年ほどしか経っておらず、当時の堀内地区には武家気質の頑固さや、反骨精神が強く残っていました。
負けず嫌いの頑固者:少年時代の元作は、一度言い出したら絶対に曲げない「はぎのいっちん(萩の頑固者)」そのものでした。近所の子供たちと喧嘩になると、負けても負けても向かっていき、最後には自分の「ヘコ(ふんどし)」を外して相手に叩きつけてまで勝とうとしたという、凄まじい負けず嫌いの一面が伝わっています。
2. 明倫館の跡地(明倫小学校)での神童ぶり抜群の秀才:
元作は、藩校・明倫館の跡地に建てられた「萩町立明倫尋常高等小学校(現在の萩明倫学舎)」に通いました。成績は常に学年トップで、特に算術(数学)と理科の能力が突出していました。
教科書への疑問:小学校高学年の頃には、学校で習う理科の教科書に間違いを見つけ、教員に「これは絶対に違う」と詰め寄るほど、当時から鋭い観察眼と科学的思考を持っていました。
3. 西の浜・指月山での「生き物オタク」の原点
指月山での採集活動:家からすぐ近くにあった指月山(萩城跡)や西の浜の海岸は、彼の格好の研究フィールドでした。特に指月山は、江戸時代から立ち入りが制限されていたため豊かな自然(原始林)が残っており、元作は毎日ここに籠って昆虫や植物の採集に没頭しました。自作の標本部屋:捕まえた昆虫や植物は、すべて自分で美しく分類し、自宅の一室を「藤永博物館」のようにして並べていました。顕微鏡を欲しがり、レンズを通して小さな世界を覗き見ることに何時間も費やす少年でした。
4. 萩中学校(現・萩高校)時代の「エビとの出会い」
海への興味:萩中学校に進学すると、彼の興味は山から目の前の「日本海(西の浜の海)」へと移っていきます。
原風景としてのエビ:萩の海はアジやサバ、そして初夏には美しいアマエビやクルマエビが獲れる豊かな海です。彼がのちに「なぜエビの研究を選んだのか」と問われた際、「子どもの頃から萩の海を見て育ち、水産資源の不思議に魅せられていたからだ」と回想しています。東京の大学へ進学する際も、故郷・萩の豊かな海を豊かにし続けたいという想いが根底にありました。
お客様が昭和40年代に見られた西の浜の実験池のすぐ近く(堀内)で、その数十年前、まさに少年時代の藤永元作が泥だらけになって生き物を追いかけていたことになります。この藤永博士の生涯や、彼が開発した天草や秋穂での車海老養殖の苦労話(エビの人工餌を発見した奇跡のエピソードなど)について、さらに詳しくお知りになりたいですか?


