スタッフブログ -千春楽の出来事-

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萩は数日ぶりに穏やかな陽射しが溢れて、しだいに季節の変わり目を感じる今日この頃です。
いつもなら春告げ魚の「しろうお」が遡上を始め、阿武川の支流の松本川には四つ手網の姿が見られる時期となるはずなのだが、今年は少し様子が違った。船の横腹に四つ手網を備え付けた漁舟の写真を撮りに出掛けたが何処を探せど見当たらないのだ。姥倉運河の横で作業場から出て来た70~80歳の爺さんに、「しろうおは獲れんのかね、四つ手網の船は何処へ行ったんかね?」と聞くと、「まだアガッテ来んそいや」と・・・ 「いつもはこの辺に五六艘あったいね?」と聞くと「時代が違ういや!」と爺さんは言った・・
時代が違う・・・もしかして、この爺さんスマホ使ってネットで稼ぐ後期高齢者か? ガラ携帯をスマホに変える時が来たようだ・・・


「しろうお」が獲れる姥倉(ウバクラ)運河 藩政時代の治水事業

萩は毛利氏が造った城郭都市でたびたび水害に見舞われ、堤防や河川改修、水路や運河で雨が降るたびに形を変える三角州を制御してきました。治水事業は開府から近年まで続き、内水氾濫を新堀川や藍場川で排水し、幕末近く、溶岩台地の端に沿って姥倉運河を開削し商業集積地の港街を浸水から守りました。開削により立ち退いた地区の民にしろうお漁の特別の権利を与えてバランスを取ったようです。
お城の近くの観光遊覧船が発着する疎水(地元民は運河と呼ぶ)は明治以降の氾濫防止の排水路です。藩政時代のモノではありません。時代が違います。


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