えあこんあっぷでーと
萩市菊が浜は海開きして最初の日曜日なのに、午後3時まで雨が降り海水浴もままなりませんでした。
3時以降は厚い雨雲の下、蒸し蒸しと不快な空気に包まれています。
夏休み、折角のお出かけで、車の不調はお父さんの責任を問われます。何故か日本ではそうなってます。私も度々車の不調に見舞われましたが、男でない方の性別の方は、当事者意識がないのかそれ程慌てた様子もありません。車から出てきて手伝おうかとか、そういう態度は期待してはいけません。実際、ほとんど役に立ちません。
まずは、軽微な保守管理から。エアコンの効きを良くする簡単な方法
車のエアコンの外機をコンデンサー、内機をエパボレーターと云うそうです。(知らなくても社会生活は営めます)この内と外を繋ぐ配管を断熱する事で冷房効率を上げようという目論見です。家庭のエアコンは配管回りは、せいぜい40~50℃でしょうが車のエンジン回りは水温70~80℃、エンジンオイル80~100℃位はあります。排気管エグゾーストマニホールドは700~800℃、ターボの周りは850~1000℃にもなりアルミでは溶け落ちて落ちてしまいます。高温になるエンジンルーム内の輻射熱を防ぐため断熱を施せば当然効果はあります。行き帰りとも上の画像のコスパ最高の断熱カバーを対候性の高い黒のタイラップ(結束バンド)で止めていけばエアコンの効きは感覚的に2~3割アップします。
コンロカバー4個で1,000円強、タイラップ何十本で1000円弱、合計金額2,000円で遊べます。
"みんカラ"で仕入れた情報ですが、完全自己責任でお願いします。
これを使えば確実に効きはよくなります。車屋さんで入れてもらってください。エアコン・オイルにテフロン(氷と同じ摩擦抵抗値)が添加されてます。結構なお値段がします勇気がいります。
はいんりっひのほうそく
萩は梅雨明け宣言から蒸し暑い日が続いてますが、夏草が伸び放題となり仕方なく草刈りです。
スポーツドリンク大型2リットル買ってあったのを飲みながら、ツーストロークの草刈り機を全開近く回して、まずは玄関前駐車場。熱中症にならないように短時間で、とら刈りで仕上げた。
作業を済ませてシャワーを浴びて、明日の天気と山口県内のニュースをNHKのデータ放送で見ていたら・・・小月の海上自衛隊の練習機から20x23cmの紙が落下した・・・先月は岩国の海上自衛隊ヘリコプターの部品が落下し報道されたが、ラミネートされたマニュアルの一部が紛失していたとの事だが、紙一枚で大袈裟なと考えるが航空機のチェックはことのほか厳しい。
"ハインリッヒの法則" 昨日の安全運転管理者講習で何度も繰り返し聞かされる。損保会社の事故の統計分析の結果から導き出された理論だが、航空機の事故は大惨事となるため軽微な事象も見逃さない。
「一件の重大事故の陰には29件の軽微な事故が、さらにその背景には300の"ひやり・はっと"ミスが隠れている」
こんな事を書くと今の日本人の様な、小さなミスも許さない許容範囲のない社会が出来上がり、みんな何か窮屈なのだが正しいことをすれば良い、みなの幸せのためにはと誰も幸せに成れない状況におちいってしまう。遊びのない歯車は回らない。モノには程度というモノがある。判断するのは人間なのだが、色んな情報が飛び交って説得納得が難しい。
山口県には下関の小月基地に海上自衛隊教育航空隊、防府北基地に航空自衛隊の飛行教育団がある。毎年冬には小月の新兵さんが来館されていたがコロナで今年も無くなった。黒い制服と白い帽子がカッコよかった。
やれやれ、明日も耳の穴まで草まみれで頑張りましょう。
はぎもだんけんちく
萩の街並に突然現れる巨大なオブジェ、萩市民館です。
菊竹清則の設計となります。
本日はここで朝の9時から夕方5時まで安全運転管理者講習です。毎年受けることが法律で決められており、何度も萩での講習をスッポカシテ最終講習の小郡南センターまで車で出かけました。今年は暇でキチンと予定どうり受けました。(以前はこれを受ければ免許の更新の講習免除でしたが。免許証が青いので不満は言えません)
中高生の頃にはコンサートを観るためにここに行列した。"チャゲ&飛鳥"や"イルカ"、"長谷川きよし"を観賞。
音響特性はあまり良くないみたいだ。男性講師の太い声が共振してこもって聞こえる。
ステージに立つと客席から見た感じと違い狭い、これならアガッテ仕舞う事も無いと思う。来賓席に上がったかな~?忘れた。
日本のモダン建築の傑作のひとつだと思うが、シルバー人材センターをくっつけ再び壊してみたり、道路の拡幅で外構の池を潰したり、コンビニを入れたりとかなり雰囲気は変ってしまったが、この建物が文化財としての価値があると思ってないみたいだ。隣の芝は青く見えるのでしょう。
じょうかまち
萩城下町を一望できる田床山から眺めると萩の土地柄が良くわかる。
北は海が広がり、三方を山が囲っている。守りやすく攻めにくい、毛利氏が関ヶ原の敗戦からこの町を造った。歴史は400年余り。外様の危機感から、この広い三角州に橋は一本しか掛けさせなかった。あとは渡し船で行き来した。
中世城郭都市の様相をそのまま残す萩の街並み。
毛利氏が大土木工事を施工し川の流れを大幅に替え都市計画に基づいて町割りを施す。東西南北に道を通し軍事・産業殖産を図り士農工商の職業別集積を整備、堀内(お城の外濠の内側)、細工町、呉服町、今魚店、樽屋町など今も町名が残る。河口に港を設け、北前船の中継で物流を賄った。
海あり山あり河あり田んぼ畑あり、山紫水明の地、萩に育つと風光明媚と云われる観光地に行っても大して感動しない。食べ物も山海珍味ありて、総じて旨し。
海に突き出た姿の良い指月山の麓に千春楽はある。藩政時代から水害とは無縁の地域である。殿様が辺りが水浸しとなってもお城は安全に設計している。
自転車で登ろうかと下見したが、こりゃあ駄目だ! 車で15分はかかる、夏場は死んじゃうね。