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渡辺重子 揮毫

福澤 諭吉 心 訓


福澤心訓(心訓七則)は、一般に福澤諭吉の教えとして広く知られていますが、実際には福澤諭吉が執筆したものではなく、戦後に作られた偽作(別の人物による作)とされています。福澤諭吉が創設した慶應義塾でも、この心訓は彼の言葉ではないと公式に否定されています。

心訓七則の内容

一般的に福澤諭吉の教えとして知られる7つの教訓(心訓七則)は、主に以下の内容で構成され、おみやげ物や色紙などに使われてきました。 [1, 2]
•    仕事、教養、奉仕、愛情、誠実さなど、人生の指針となる教え(詳細はを参照)。

真贋に関する事実

•    慶應義塾の公式見解: 福澤諭吉の著作や発言には一切存在しないとされています。

•    出自: 昭和の戦後以降まったとされています。

•    本物の思想: 諭吉の真の思想は『学問のすゝめ』や『福翁自伝』などに記されています。


Google・Gemini君に訊いてみた・・・

誰の捏造か考察・解説せよ

「福澤心訓(心訓七則)」が誰によって作られた(捏造された)かについては、結論から言うと、現在も「作者不明(作者不詳)」とされています。 [1]
しかし、特定の悪意を持った人物が騙す目的で「捏造」したというよりは、「誰かの上手い創作(あるいは別の教訓)が、時代の流れの中で勘違いされて福澤諭吉の名前に結びついてしまった」というプロセスが有力視されています。
なぜこのような偽作が生まれ、全国に広まったのか、その背景と考察を3つのポイントで解説します。
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1. 誰が作ったのか?(有力な説)

完全に個人が特定されているわけではありませんが、調査や研究(清水義範氏の著作『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』など) を通じて、以下のようなルーツが推測されています。

•    修養団体や宗教関係者による創作説

昭和初期〜戦後にかけて、道徳や自己啓発を教える団体、あるいは寺社の関係者が「人生の教訓」として作ったオリジナルの標語がベースであるという説です。

•    別の「心訓」との混同説

古くから日本には様々な「心訓」と呼ばれる教えが存在しました。それらと、戦後に流行した自己啓発的な文章が混ざり合い、いつの間にか「明治の偉大なる教育者である福澤諭吉の言葉」として仕立て上げられてしまった可能性が高いとされています。

2. なぜ「福澤諭吉」の名が使われたのか?(心理的考察)

この偽作がこれほど普及した最大の理由は、福澤諭吉という「名前の権威」にあります。

•    言葉の説得力を増すための「仮託(かたく)」

無名の人物が「嘘をつくのは悲しいことだ」と言うよりも、「あの福澤諭吉先生がこうおっしゃっている」と言った方が、人々はありがたがり、真剣に耳を傾けます。このように、偉人の名前を借りて自分の主張を広める手法は、歴史上「偽書」によく見られる典型的なパターンです。

•    一万円札の肖像(1984年〜)による拍車
昭和59(1984)年に福澤諭吉が一万円札の顔となったことで、彼の国民的知名度と「お金・成功・教育」のイメージがさらに強固になりました。これにより、おみやげ屋の色紙や、企業のオフィス、飲食店の壁などに「諭吉のありがたい教え」として飾られるスピードが爆発的に加速しました。

3. 文体から見る決定的な矛盾(解説)

福澤諭吉の実際の文章を少しでも知っている人から見ると、心訓七則の文体には明らかな違和感(捏造の証拠)があります。
•    諭吉は「~はみじめ」「~は醜い」という感傷的な書き方をしない
心訓は「世の中で一番みじめなことは…」「一番醜いことは…」といった、感情的でやや後ろ向きな言葉が並びます。しかし、本物の諭吉の思想は「独立自尊(自分で考え、自分の足で立て)」であり、もっと合理的で前向きです。人を「みじめ」「醜い」と断罪して諭すようなウエットな道徳論は、彼のカラッとした実学の精神とは真逆のものです。 [1, 2, 3]
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最大のアイロニー(皮肉)

心訓七則の最後の一節には、こう書かれています。
世の中で一番悲しいことは、うそをつくことである

慶應義塾の公式FAQなどでも指摘されていますが、この言葉を「福澤諭吉の作」と偽って世に広めた作者自身が、まさに「諭吉の名前を騙るという大嘘」をついてしまっているという、非常に洗練された(?)皮肉な結果論(アイロニー)が成立しています。

結果として、誰が書いたかは特定されていませんが、「戦後の高度経済成長期に、もっともらしくて大衆受けする道徳論を、一万円札の偉人の名前を借りてブームにさせた、誰かによる巧妙な商業的・啓発的ムーブメントの産物」というのが、もっとも自然な考察と言えます。

本物の福澤諭吉は「漢詩の達人」だった

本物の福澤諭吉は、少年時代から漢学(中国の古典)を猛勉強したため、非常に美しい漢詩(七言絶句など)を数多く残しています。

例えば、彼が晩年に詠んだ有名な漢詩に『惜花(花を惜しむ)』があります。

「幾度迎春又送春」(幾度か春を迎え また春を送る)
「物情颯颯不停留」(物情颯颯として 停留せず)
「惜花人是簪霜客」(花を惜しむの人はこれ 霜をいただくの客)
「半路行来苦心頭」(半生の行路 くしんのみ)


(意味:何度も春を迎えては送り、世の移り変わりは早く留まることがない。花を惜しんでいる私は、もう白髪の老人になってしまった。振り返れば、これまでの人生の道のりは苦心の連続であったよ。) [1]
このように、本物の諭吉の詩には「苦心(くしん)」という言葉が登場します。ここから「福澤先生の『苦心』の詩」という話が、戦後のどこかで別の日本語の「心訓」とごっちゃになり、「福澤心訓」という偽作へ変化していく遠因になったのではないか、とも推測されています。 [1]


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