げいじゅつのあき
萩の殿様は武家好みの質実剛健、侘茶の本筋の利休ごのみ、寂びた佇まいの萩焼と山口の大内氏の頃からの雪舟・雲谷派が代々受け継がれてきました。
萩は萩焼の窯元が数多くあり焼き物の街です。
日本の「やきもの」には、大きく分けて、茶陶と民陶があり、萩焼は侘茶の茶道で使用する道具としての陶器の生産地で、趣味としての器、茶道の空間の中で最も映えるよう使い好くした色合い姿かたちが好まれました。
戦後の混乱期、伝統的な日本の文化が窮乏する中で、萩焼ブームの立役者。戦前から、三重の名家・実業家で数寄者の「川喜多半泥子」の主催する"からひね会"に加わり「わびさび」一辺倒でマンネリズムに陥った萩焼の作風に「わらじろ」(釉薬)を使用した明るく朗らかな作風で萩焼に大変革を興した。萩の人間国宝の魁、10代三輪休雪。
萩焼の分流「深川焼」の新兵衛・陶兵衛・泥華。
萩焼と中興の祖、12代坂倉新兵衛。
表千家の家元との交流から茶道の銘品に触れ、萩焼のつちあじに京の雅な作風を取り入れる。家元好みの作品を多数創作し萩焼の地位を高める。
13代泥華。おおぶりで豪快な作風。
12代陶兵衛、かどがマルっぽく優しい作風。
本日は割りと真面目に終了。