スタッフブログ -千春楽の出来事-

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萩城祉のお城山、頂上に詰丸の石垣が築かれ山の麓や山中にお寺や擁壁を配して防衛陣地としていました。物見の侍が交替で守っていたようです。ヒトの手が入っていたので「原生林」とは云えないようですが、廃藩後は登山道は残りましたが撤去・売却・放置されました。


本丸の指月公園以外は「ひとけの無い」地域で、城の外堀に近い重臣の屋敷跡はミカン畑や感染症被病院・隔離病棟、精神病院、二の丸近くの西の浜地区には屠畜場、し尿処理場、火葬場と西の果て西方浄土の終末の地といったイメージのエリアでした。この為、人口密度の少ない緑豊かな広い敷地の白壁に囲われた区画や雑木林に成った様な土地が残りました。ここが私の遊び場で、夜になれば堀からはウシガエルの「グオォ~グオォ~」といった鳴き声が、畑の境の土塁の後に棲んでいる狐の「ギャーギャー」といった叫び声が響いてくる、少々何をやっても怒られる事のないワンダーランドでした。団塊世代はツーストのバイクのマフラーの芯を抜いたりフェンダーを切ったり保安部品を外したりして西の浜の山や松林を流行りだしたモトクロスのレースの練習場化してました。コレを真似て自転車が乗れるようになるとBMXの様に西の浜や指月公園の山坂・溝を飛び越え走り回っていました。指月山の崩れた斜面は少し落ち着けば格好の巨大な滑り台です。段ボール紙擦り切れが尻が泥だらけになるまで遊べます。あちこちに掠り傷は有りますが、大きな怪我もなく死なずに現在に至るまで済みました。


指月山は、小さな山ですので15分くらいで登れます。


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