じょうかまち
萩城下町を一望できる田床山から眺めると萩の土地柄が良くわかる。
北は海が広がり、三方を山が囲っている。守りやすく攻めにくい、毛利氏が関ヶ原の敗戦からこの町を造った。歴史は400年余り。外様の危機感から、この広い三角州に橋は一本しか掛けさせなかった。あとは渡し船で行き来した。
中世城郭都市の様相をそのまま残す萩の街並み。
毛利氏が大土木工事を施工し川の流れを大幅に替え都市計画に基づいて町割りを施す。東西南北に道を通し軍事・産業殖産を図り士農工商の職業別集積を整備、堀内(お城の外濠の内側)、細工町、呉服町、今魚店、樽屋町など今も町名が残る。河口に港を設け、北前船の中継で物流を賄った。
海あり山あり河あり田んぼ畑あり、山紫水明の地、萩に育つと風光明媚と云われる観光地に行っても大して感動しない。食べ物も山海珍味ありて、総じて旨し。
海に突き出た姿の良い指月山の麓に千春楽はある。藩政時代から水害とは無縁の地域である。殿様が辺りが水浸しとなってもお城は安全に設計している。
自転車で登ろうかと下見したが、こりゃあ駄目だ! 車で15分はかかる、夏場は死んじゃうね。