逃げの小五郎
一年が早い速い、もう半年が過ぎ去ります。
気が付けば「LOBBYの掛け軸・床置き」が桃太郎や西郷隆盛・吉田松陰で変りばえし無いので、維新関連「木戸孝允」の遺墨(伝承)に掛け替えしました。
木戸孝允は何度も名前を変え京都や江戸で工作活動を繰り広げますが、「逃げの小五郎」の異名で語られて臆病者の誹りを受けますが、剣の実力は幕末江戸で最強クラス(トップ5に入る実力・江戸三大道場・練兵館「神道無念流」塾頭5年)でした。松下村塾の塾生ではありませんが、松陰先生の「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」(高杉晋作へ松陰贈る)の言葉通り、「生きるための戦略撤退」を採りました。禁門の変後、幾松の助けを借り出石へ落ち延び金物屋の娘と偽装結婚し子供までも受けて潜伏生活をして時を待ちました。
木戸孝允 雅号 "松菊"
吉田松陰 陶像 十一世 坂高麗座衛門
維新史蹟 但馬出石に隠?たる 「木戸松菊公遺芳集」兵庫県出石郡教育会
蘇峰 徳富猪一郎 題字
幾松 木戸孝允 桂小五郎
木戸孝允 雅号 松菊 遺墨
木戸孝允、伊藤博文、高杉晋作、坂本龍馬、陸奥宗光らの配偶者・愛妾の出自・身分は高貴な家柄ではありませんが「命を懸けて」支え守り続けた強い意志を持った女性たちでした。


