ごそうせんだん

貨物船のイメージです 投稿内容とは何の関係もありません
バブル経済崩壊後の反省点に日本金融機関の護送船団方式が挙げられますが。護送船団とは大戦時に兵站物資を前線に運ぶ際、置き去りにしないよう船足の一番遅い船に合わせて、巡洋艦、駆逐艦で取り囲み敵の潜水艦から守りながら輸送することを云いますが、もう亡くなった腕の立つ不動産屋の爺ちゃんの話。
大戦末期、本土爆撃を阻止べく小笠原諸島沿いに輸送船で太平洋上小島の防衛陣地に民間船を艤装した船に乗っていた。当時の貨物船を改造した船は冷房ナンかある筈も無く、天井から何層にも吊るされたハンモックが自分の居場所で兵士は薄暗く蒸し暑い船内でふんどしイッチョで寿司詰め状態。そんなある夜、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて輸送船は傾くが、艦長の「総員退去!」の退艦命令が発令されない限りは軍法違反で後ろから撃たれても文句は言えないが躊躇すれば命が無くなる、生存本能の旺盛なモノはそれを無視して一目散に海に飛び込む、逃げ遅れた者は艦とともに沈んでいった。重油まみれの海の中、味方の船が直ぐに助けてくれると思ったら大間違い。潜水艦を沈めるか撃退しなければ後に残った船も沈められるため、まずは潜水艦掃討作戦が実施され漂流する味方がいようがお構いなしで爆雷を投下する。ドーン、ズシーンと爆雷が爆発する度に水に浸かった下半身は激しい衝撃に麻痺するほど痺れまくる。音は水中では空気中より五倍も速く、密度も濃い。何時間かの後、安全が確保されたと司令官が判断したのち、救助が始まる。その間にサメに喰われるのやら、力尽きて沈んでいくものもでる。
ヤットコサ助け出されても武装装備も何もかも失った部隊は近くの島へ降ろされた厄介払いとなる。しかしココからまたサバイバルが始まる。小さな島の守備隊には食料備蓄もギリギリで助け出された部隊は自分達の食料を食いつぶす、また飢えた兵隊が部隊や民間のの倉庫を夜中に盗みに入る事となる。通称「どろぼうぶたい」と呼ばれたそうである。
年寄りが戦争の事を語りたがらないのは、平時では恥や道徳倫理に違反しなければ自分の命を保てなかったからであると思われる「恥ずかしい」事なのだ。
しかし、厳しいフルイに懸けられた生命力の強いモノが戦後の日本を造った。くじけた者は生き残れなかった。
のちに、この不動産屋の爺ちゃんの一言で不動産開発を目論んでウマく売れなかった土建屋のオバちゃんに、私は裁判所の調停に引きずり出された。「あの汚い家が有るから…」と爺さん、その汚い家も爺さんがオヤジに売ったのだが、オバちゃんはそれが見抜けなかった。結局解体費用をオバちゃんが大半支払う事となる。